東京都の記事一覧

2011年 3月11日(金)に発生いたしました
東日本大震災において被災された皆さまに
心よりお見舞いを申し上げますと共に、
一刻も早い復旧、ご復興をお祈りいたします。

藤原紀香や沢尻エリカの神社挙式(神前結婚式)
一般の方にも身近になりました。
両親や祖父祖母さんもとてもお喜びになりますよ。
このサイトではそういうカップルをもっともっと増やすために
少しでもご協力できればと思っております。

深川神明宮 (東京都 江東区)

今からおよそ四百年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手しました。

八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。

これが、深川神明宮の起源です。そして深川の地の発展とともに、八郎右衛門の屋敷の小さな祠も、いつしか深川総鎮守神明宮と称せられ、多くの崇敬を集めるようになり、今日に至りました。

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亀戸天神社 (東京都 江東区)

菅原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

・・・そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。

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亀戸 香取神社 (東京都 江東区)

当社の創設は天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因であります。

天慶の昔平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、目出度く乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。

以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました。(当時の葛飾は下総国の大半を意味します。) 元禄10年検地の節は改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。

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亀有 香取神社 (東京都 葛飾区)

鎌倉時代建治二年八月十九日(西暦一二七六年)、当時亀有の地は下総国葛西御厨亀無村と呼ばれ、香取大神宮の神領地であったことから本宮の御分霊(経津主大神)をお迎えし村の鎮守様としてお祀りされました。その後、鹿島(武甕槌大神)・息柄(岐大神)の両大神を合わせおまつりし、東国三社の三社明神のお社として村人・近隣の人々を守り続け、約七百三十年の時を経て現在に至ります。

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東京都 芝東照宮(港区芝公園)

■芝東照宮 (シバトウショウグウ)

当宮「芝東照宮(しばとうしょうぐう)」は、当初、増上寺内境内に勧請された。増上寺は天正十八年(一五九〇)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。

当時は日比谷にあったが、慶長三年(一五九八)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。この増上寺境内の家康公を祀る廟は、一般に安国殿と称された。これは家康公の法名「一品大相国安国院殿徳蓮社崇誉道大居士」によるものである。

安国殿の御神体は慶長六年(一六〇一)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を・・・。

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東京都 王子神社(北区王子本町)

■王子神社 (オウジジンジャ)

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。

紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、近年、世界遺産に登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。

創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い・・・。

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東京都 乃木神社(港区赤坂)

■乃木神社 (ノギジンジャ)

明治45年(1912)7月30日明治天皇が崩御せられ、御大葬の大正元年9月13日御霊轜(棺を乗せた車)が宮城を出発する号砲が打たれた午後8時過ぎ、乃木希典将軍と妻静子夫人は先帝に殉じて自刃を遂げられました。以降この御夫妻の忠誠心に感激した国民はこぞって乃木邸を訪れ、その数は日を追って増していきました。

時の東京市市長阪谷芳郎男爵が先頭に立って広く同志を集め、中央乃木会を組織して乃木邸内の小社に御夫妻の御霊をお祀りし、毎年9月13日にはその御前に祭儀を斎行するとともに青少年への研修会を開催するなど、御夫妻の精神を永世に伝えようと活発に活動していました。

大正8年(1919)には乃木神社創立の許可がくだり、明治神宮創建の後御造営の事業が起こされ、大正12年(1923)11月1日鎮座祭が斎行されました。

昭和20年(1945)5月25日未明の空襲により本殿以下社殿を悉く焼失しましたが、戦後全国の崇敬者の熱意により、昭和37年(1962)9月13日御祭神50年祭に合わせて本殿・幣殿・拝殿が復興されました。

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東京都 馬橋稲荷神社(杉並区阿佐谷)

■馬橋稲荷神社

馬橋稲荷神社の創建は鎌倉時代末期と言い伝えられているが、その詳細は明らかでない。

天保二年卯二月上旬「当村鎮守稲荷官金勧化連名帳馬橋村」によれば当時の住民、大谷佐六他五十三名、連名を以て官金の寄附あり、是を以て京都に使者を向け、白川神祇伯家の御役所に上申し、御神体及び御神号の宣下を乞いし処、天保三年辰正月三日、正一位 足穂稲荷大明神の御神号を賜り、御勧遷の許可ある。ここを以て勧遷の式を厳かに執行せられた、と語り・・・。

正参道随神門右手前に手水舎を新築する。木曾檜を材として使用し切り妻流れ造りの水舎に、四国より取り寄せた『伊豫の青石』重量 5トンの自然石から絶えず清水が流れ落ちています。社殿手前左にあった、旧の手水舎は東参道に移築された。

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東京都 大鳥神社(目黒区下目黒)

■大鳥神社

御祭神  主祭神  日本武尊(やまとたけるのみこと)
 
相殿神
 
国常立尊(くにのとこたちのみこと)  ※日本の国開きの神様です。
弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと) ※日本武尊のお妃さまです。

景行天皇の御代、当所に国常立尊を祀った社(やしろ)がありました。日本武尊は景行天皇の皇子であり、天皇の命令で熊襲を討ち、その後に東国の蝦夷を平定されました。この東夷平定の折、当社(大鳥神社)に立寄られ、東夷を平定する祈願をなされ、また部下の「目の病」の治らん事をお願いされたところ、首尾よく東夷を平定し、部下の目の病も治って、再び剣を持って働く事ができるようになったので、当社を盲神(めくらがみ)と称え、手近に持って居られた十握剣(とつかのつるぎ)を当社に献って神恩に感謝されました。この剣を天武雲剣と申し、当社の神宝となっております。

当社の社伝によると、「尊の霊(みたま)が当地に白鳥としてあらわれ給い、鳥明神(とりみょうじん)として祀る」とあり、大同元年には、社殿が造営されました。当社の社紋が鳳凰(ほうおう)の紋を用いているのはこのためです。

また、江戸図として最も古いとされる長禄の江戸図(室町時代)に当社は鳥明神と記載されております。尚、この江戸図に記載される社は九社しかなく、当社は江戸九社の一つにかぞえられております。

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